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제2장(第ニ章)

二度目のはじまり

「おぉぉ…………」 扉をくぐった先に広がっていたのは、初見でありながら懐かしく、それでいてつい最近見たという何とも不思議な光景だった。三回目ともなると感動も薄れるかと思ったが、むしろ逆に感慨深さが増している気がする。「はぁー……っと、気を抜く前にまずはやることをやっておかねーとな」 この辺に脅威を感じる魔獣など生息しているはずもないが、それとは別に自分の調子を確かめておくのは極めて重要だ。俺は軽く腕や足を動かして体の調子を確認してから、次いで肝心要の追放スキルを確認していく。「はは、この流れも二回目か。〈不落の城壁〉に〈吸魔の帳〉……防御系は問題なさそうだな。なら次は……うげっ!?」 俺の視界の片隅に浮かんだ半透明の地図を見て、俺は思わず呻くような声をあげてしまう。かつては完璧に表示されていたこの周囲の地図が、どういうわけか真っ白になってしまっていたのだ。「これはひょっとして、能力そのものは引き継いでるけどそこに入ってた情報とかまでは引き継げなかったってことか? まあもう一回旅しなきゃなんだから、行ってない場所がわかりやすいと考えりゃこれはこれで……いや違う!?」 極めて恐ろしい可能性に気づき、俺は即座に〈彷徨い人の宝物庫〉を発動する。空に浮かんだ黒い穴に手を突っ込んでかき回してみるも、俺の手はただスカスカと空気しか掴めない。「のぉぉぉぉ!? うっそだろオイ!?」 一〇〇年かけて俺が溜めたお宝の数々が、綺麗さっぱりなくなっている。その事実に俺はその場でガックリと膝を突いて崩れ落ちる。「あはははは……そうか、そうだよな。俺が引き継いだのはあくまで記憶と能力であって、物品はそこに含まれねーよなぁ……」 もしもあの時、引き継ぐ物に〈彷徨い人の宝物庫〉の中身を含めていたら話は違っていたんだろうか? そんな疑問がふと頭をよぎったが、欲張ったせいで限界を超えて、結局全部駄目になるなんてのはよくある話だ。「はぁぁぁぁ……いや、力と記憶があるだけで破格の報酬だ。これは必要経費だったと割り切るべきだ」 自分に言い聞かせるように、言葉にしてそう呟く。そうして気持ちを切り替えると、俺は改めて〈旅の足跡〉を起動した。地図そのものは消えていても方角はわかるし、何より道があるのだから町まで行くのは簡単だが、俺はあえて〈失せ物狂いの羅針盤〉を合わせて起動し、針路上で一番近い魔獣の方へと足を向ける。「お、いたいた……よっと」 まだこちらに気づいていなかった角ウサギを、背後から一閃。角を切り落として腰の鞄にしまい込めば、これで入町税の問題は解決だ。「肉と皮は……まあいいか。手間かけるほどの金にはならねーし」 俺が本当に駆け出しの雑傭兵……この世界での冒険者なら、これだけ綺麗に仕留めた角ウサギの素材は残さず持っていくだろう。が、今の俺からするとこの素材に手間をかけるほどの価値は見いだせない。もっと町に近いところなら「片付ける」という意味で持っていくことはあるだろうが、ここならこのまま放置してもすぐにゴブリンか何かが食うだろうから何の問題もない。 ということで、最低限しなければならないことを済ませた俺は、今度こそ町へ向かって歩いていく。門のところでは記憶通り入町税を要求されたが、さっきの角で物納すればあっさりと中に入る許可が下りた。 ふふふ、やることがわかってりゃこのくらい楽勝だぜ。あとは所定の場所で勇者アレクシスがやってくるのを待つだけなんだが……「どうすっかな……」 活気のある町並みを歩きながら、俺は静かに考えを巡らせる。今決めなければならないのは、アレクシスとの再会をどういう形にするかだ。 一周目での出会いは、初めて来た異世界の町並みにキョロキョロしながら歩いていた俺がアレクシスにぶつかったのがきっかけだった。

この頃はいい感じに尖っていたアレクシスに「勇者であるこの僕にぶつかってくるとは、貴様一体どういうつもりだ!?」と怒鳴りつけられ、俺はチャンスとピンチが一気にやってきたことにひたすら動揺してしまい、情けなくアタフタする俺を見かねてゴンゾのオッサンとティアが取りなしてくれた結果、いつの間にか勇者パーティの荷物持ちをすることになった……というのが一連の流れだ。 なので今回も、俺が適当に町中でぼーっとしてればおそらく同じ流れで勇者パーティに加入することができるだろう。単に仲間になるだけならば、きっとそれが一番簡単だ。 が、今後のことを考えるとそれは決していい方法ではない。単なる下っ端としてお情けで連れて行ってもらうなんて立場じゃ、俺の意見がアレクシス達に何も通らなくなってしまう。せっかく一周目の知識があっても、話を聞いてもらえないんじゃ何の意味もない。 となると、目指すべき方向性は二つ。即ち「暫定ではなく、プロの荷物持ちとしてアレクシス達に雇ってもらう」ことと、「そもそも荷物持ちではなく、戦闘要員としてきちんと勇者パーティに入れてもらう」ことだ。 前者の方は、正直簡単だ。追放スキル〈彷徨い人の宝物庫〉の能力をアピールすれば、ただそれだけで受け入れてもらえるだろう。この場合は本職の荷運びとしての契約になるだろうから、俺にはアレクシス達に対して対等な発言権が認められる。 ただし、そこに含まれるのは旅のルート選択などであって、戦闘には関われないし口出しできない。可能な限り一周目と流れを変えないことで一周目の知識を存分にいかしつつ、必要最低限だけを変えるようにするってことなら、この選択がいいだろう。 対して後者の方は、何らかの手段でアレクシスに俺の強さを認めてもらい、本当の意味での勇者パーティに加えてもらうというものだ。こっちが成功した場合は、当然ながら仲間として対等の発言ができるし、戦闘を含む行動方針に口も出せる。 が、俺が戦うとなれば一周目とは根本的に流れが変わってくるし、何より本来の流れから大きく逸脱しているため、そもそも勇者パーティに加入できるかどうかがわからないという巨大なリスクがある。 というか、アレクシスは俺が知る限り最後まで戦闘要員の募集はしていない。俺がどれだけ強かったとしても、アレクシスが必要としないなら当然仲間にはなれないだろう。相手の欲しがってないものを売り込んで買わせようってんだから、分が悪いどころの話じゃない。「賢く無難に行くなら荷物持ちなんだろうが……」 口の中で言葉を転がし、自分の意思を確かめる。異世界巡りはまだ始まったばかり。なら最初から無謀な賭けに出るよりも、小さな成功を刻んで手応えを感じていく方がいいんじゃないか? そんな弱気な意見が俺の頭をよぎり……「フッ」 だからこそ俺は、不敵に笑う。ああそうだ、あり得ない奇跡を勝ち取ったのに、ここにきて小さくまとまっていく? んな馬鹿な話があるか。 目指すは大勝。これ以上ないほどの大成果。イカサマし放題の環境なら、欲しい物全部をつかみ取るに決まってんだろ!「ここは一つ、欲張っていきますか」 いつの間にか遠目に見えてきた、見覚えのある人影。かつてはぼーっとしていてぶつかってしまったその人物の前に、俺は自らの意思で立ち塞がった。******『空より見る』: とある勇者の邂逅「見て、あれアレクシス様じゃない?」「うわー、本当だ! 格好いい……」「まさか勇者様をこの目で見られるとは……」「……フッ」 横を通り過ぎる平民達の賞賛の声を、アレクシスは余裕の表情で受け流す。聞き慣れた言葉に一々反応などせず、毅然とした態度を見せることが勇者である自分の評価を高めることをちゃんと理解しているからだ。

(まったく、生まれと容姿と才能と実力と英知と神の寵愛に恵まれているだけだというのに、相変わらず庶民は大げさなことだ) 悠然とした笑みを湛えたまま、アレクシスは内心でそう嘯く。自分が選ばれし特別な存在であることを一切疑わないし、その全てを当然として受け入れる。それは大国ノートランドの王子であり、生まれた瞬間その身に神の祝福の光を受けたアレクシスからすれば息をするのと同じくらい自然なことなので、謙遜することも卑屈になることもない。 そして、そんなアレクシスの態度に周囲もまた何の疑問も不満も抱かない。一般人が同じことをすれば傍若無人と罵られるだろうが、誰もが特別と認めるアレクシスが特別扱いを求めるのは当たり前だからだ。 故に、特別なアレクシスが大通りの中央を歩けば大型馬車すら端によってアレクシスが通り過ぎるのを待機するし、もしアレクシスが欲しいと言えば、それが何であろうとアレクシスの手中に収まる。 まさに世界に、神に選ばれし特別な存在。しかしそんなアレクシスの前に不遜にも立ち塞がる人影があった。「…………何だ、君は?」「やあ勇者様。ひょっとして人材を探してるんじゃないかと思ったんですが、最高の荷物持ちかつ最強の剣士に興味はありませんか?」「何?」 特別なアレクシスに平然と話しかけてくる、どう見ても平凡な冴えない青年。自分を特別扱いしないその男にアレクシスはピクリと眉をひそめ……しかしその男、エドはニヤリと笑って腰の剣に手を掛けた。******(フフフ、どうやら興味を引くことには成功したみてーだな) アレクシスがしっかりこっちを意識していることを確信し、俺は内心ほくそ笑む。 そう、どっちか片方で不足なら、両方兼任してしまえばいい。荷物持ちとして下手に出つつ、剣士として上から腕を語る。両方を兼任しようとすればこの微妙なバランス演出が必要だったわけだが、今のところは大成功と言えるだろう。「……一応言っておくが、僕の仲間に半端者なんて必要ないよ? 荷物を持ちながら戦うだって? つまり君は重い荷物を背負っていても僕が認めざるを得ないくらいに強いと言ってるのかい?」 そう言って俺を睨み付けるのは、柔らかな金髪を揺らす優男。だがその儚げな見た目とは裏腹に全身から強烈な威圧感を放っており、並の剣士ならばそれだけで腰を抜かしそうだ。 威風堂々とした立ち姿から滲むのは、正しく勇者の貫禄。俺とほとんど同じ身長にも拘わらず、まるで見下ろされているかのような気分になるが……その程度で今の俺が怯んだりはしない。「ええ、勿論。試していただけますか? この状態で勇者様より強ければ、荷物を背負っても十分に戦えると認めてもらえるでしょう?」「…………」 アレクシスの切れ長の目が、ピクリと吊り上がる。そこに浮かんだ一瞬の苛立ちを、俺は見逃していない。「ハァ……わかった。君のような勘違いした奴に現実を知らしめるのも、勇者の役目の一つなんだろう。まったく強すぎるというのも困りものだ」 あからさまなため息をつきながら、アレクシスが俺の挑発に乗ってきた。よしよし、これも計算通りだ。もしここで無視されたり軽く流されたりしたら、そっちの方がよっぽど困っただろうからな。「さあ、抜きたまえ。僕が許可しよう」「では、遠慮なく」 ここは町の大通りであり、周囲には無関係の一般人が多数この騒ぎを見守っている。こんなところで剣なんて抜いたら、普通ならあっという間に衛兵が飛んできて鉄格子付きの宿に強制入室させられるところだ。 が、アレクシスが許可すれば話は別。アレクシスが持つ勇者の称号には無数の特権と同時に義務も存在し、その中に「いつ如何なる時、如何なる者からも挑戦を受け、己の強さを示さなければならない」というのがあるからだ。 これには「勇者なんて所詮は政治的なお飾りだ」という口さがない連中を実力で黙らせる意味があり、実際これがあるからこの世界に勇者の強さを疑う者は一人としていない。

なおその裏には「勇者は強すぎて法律で取り締まるのは難しい。なので代わりに誰でも挑めるようにしたから、もし勇者が問題を起こしたら直接何とかしろ。また勇者は自分の力で何とかできないような厄介ごとを抱えるな」という意味もあったりするんだが……まあそれは今はいいとして。「腕を見ていただく機会をいただけた感謝の印ってことで、先手は勇者様にお譲りします」「へぇ? それはつまり守る方が実力を発揮できるってことかい?」「いえ、俺が先に攻撃して一撃で終わってしまったら、受ける側に回ったときの実力を見ていただけなくなるかと思って」「……そうか」 構えた剣先を軽く揺らしながら言う俺に、アレクシスが低い声を出す。この様子なら手加減されることはないだろう。ならば後は衆人観衆の前で俺の実力を認めさせれば、いくらアレクシスがぶち切れていても俺を仲間にしない選択肢は――!? ギィン!「っと、危ねぇ」 まるで瞬間移動でもしたかのように迫ってきたアレクシスの剣を、俺は綺麗に受け止める。相対距離五メートルを一瞬で詰めてくるとか、やっぱりアレクシスは強い。 ってか、わかってたけど殺意たけーなオイ。今の受け損なったら普通に腕が飛んでたんじゃねーか?「今のを止められるのか。どうやら口だけってわけじゃないみたいだね」「勿論。手加減した一撃を止められないようじゃ話にならないでしょう?」 アレクシスの一撃は本気ではあっても全力ではない。殺し合いじゃないんだから当然だ。なので俺も技術的な意味では割と余裕を持ってそれを受け止められたんだが……(やべぇ、完全に忘れてた……) 俺が今手にしているのは全てを切り裂く薄命の剣でもなければ、よく鍛えられた鋼の剣でもなく、雑傭兵時代に愛用していた安物の鉄剣だ。手頃な値段で、手頃な性能。流石に鋳造品ではないが、限りなくそれに近い鍛造の量産品。こんな剣でアレクシスの聖剣と斬り合ったりすれば、こっちの剣が保つはずがない。(うわ、これどうする? 今更「ちょっと武器がショボいんで、二、三日金策してそれなりの剣を買うまで待ってくれませんか?」とか言えるわけねーし……)「? どうしたんだい? 譲ってもらった初手はもう見せた。次は君が攻める番だろう?」「あー、いや、そうなんですけどね。ちょっと作戦を考えてたと言いますか」「作戦? ああ、確かに君が想像していたより僕が強いのは当然だ。そういうことならゆっくり考えたまえ」「流石は勇者様。ありがとうございます」 余裕の笑みを浮かべるアレクシスに礼を言いつつ、俺は現状を確認する。 今から新しい剣を手に入れるのは事実上不可能だ。〈見様見真似の熟練工〉はあくまで鍛冶の腕を補正する能力だから、この場で即座にこの剣を打ち直すのも無理。 例外として俺の血を俺の体内で錬成する派生技「血刀錬成」ならいけるだろうが、こんなところで盛大に血を流しながら剣を作るとか悪目立ちなんてレベルじゃないので、流石にその札は切れない。 つまり……これでやるしかない。「お待たせしました。では……行くぞ!」「っ!?」 俺は全力で踏み込み、アレクシスに向かって斬りかかる。その早さに驚くアレクシスだったが、かといって反応されないほどではない。ならばと俺は次々と斬撃を放つが、その悉くがアレクシスの聖剣に防がれてしまう。「いい速度だ。読みも悪くない……だがいかんせん、軽すぎる!」「うおっ!? いやいや、軽いってのも悪くはないんですよ?」 切り返してくるアレクシスの攻撃を細心の注意を払って受け流しつつ、俺はニヤリと笑ってみせる。余裕がないときほど笑うべし、それこそ雑傭兵の生き様よ! まあ余裕がないのは剣の耐久力だけなんだが。「くっ!? 貴様、本当に何なんだ!? まさかこの僕相手に手加減していると!?」 斬っても斬っても斬り込めない。だというのに俺からの攻めは微妙に緩い。勇者に相応しい実力を持つアレクシスだからこそ、それに気づいているんだろう。激しい苛立ちの籠もった視線に、しかし俺は剣の方に意識を取られながら適当に答えてしまう。「はは、勇者様だって手加減してくれたじゃないですか。なんでまあ、お返しってことで」

「……っ!?」 その言葉が、アレクシスの魂に火をつけてしまったらしい。距離を取るように飛び退くと、アレクシスが聖剣を頭上に掲げる。おい待て、その構えは!?「ちょっ、勇者様!? それは――」「見るがいい! これが勇者アレクシスの真の力だ!」 アレクシスの掲げた聖剣に、淡い光が宿っていく。それが何なのかを知っている俺が全神経を集中させるなか、大上段に構えたアレクシスがその場でまっすぐに聖剣を振り下ろす。「喰らいたまえ! 『月光剣』!」「マジかっ!?」 俺に向かって放たれたのは、三日月の如き輝く斬撃。こんなものをまともに受けたら、俺の体は剣ごと真っ二つだ。 てか、馬鹿じゃねーのか!? いくら挑発されたからって、人のいる町中でこんなもん打たねーだろ! これ俺がちょっとでもしくじったら後ろの一般人まで巻き込むやつだぞ!?「すぅぅ…………」 瞬きほどの一瞬で、俺は細く息を吸い元々集中させていた意識を更に狭める。一見魔法のようでありながらこいつは純粋な物理攻撃なので、防ぐだけなら〈不落の城壁〉を発動すればそれで終わりだ。 だが、それじゃ駄目だ。つまらないこだわりと言われればそれまでだが、俺はアレクシスにちゃんと認められたい。もらいものの追放スキルじゃなく、一〇〇年かけて鍛え上げた俺自身の剣術で……勇者の技を破る!「…………」 時が止まっているかのような極限の集中のなか、俺は静かに滑らかに安物の鉄剣を振るう。これがボロいせいで「月光剣」を切り伏せるのが無理だというのなら、その丸い形に添って刀身を滑らせ……ここだっ!「ハッ!」 裂帛の気合いを込めて、滑り込ませた剣を上に跳ね上げる。すると俺を切り裂くはずだった三日月は遙か上方へと軌道を変え、輝きを残しながら空の彼方へと消えていった。 そしてそれと同時に、最後の仕事をやり遂げた鉄剣がビキッと甲高い音を立てて砕け散る。よくぞここまで保ったもんだ。いい仕事だったぜ……じゃあ、またな。「ふぅぅ……ったく、何考えてんだ……ですか、勇者様! こんなところであんな技使って、もし俺が逸らせなかったら死人が出てるところですよ!?」

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一応口調は改めたが、俺はガチめな怒りをアレクシスにぶつける。が、ムキになって技を放ったはずのアレクシスは何故か涼しい表情だ。「フッ。何を馬鹿なことを。この僕がその程度のことを考えていないとでも?」「ガッハッハ! そうだぞ小僧!」 ファサッと金髪をかき上げたアレクシスの言葉に応えるように、俺の背後からまた懐かしい声が聞こえてくる。慌ててそちらを振り向くと、そこには俺よりも頭一つ分は背の高い巨体にピカリと輝く頭部を乗せた、全身筋肉の塊のような中年親父が立っていた。「勇者の本気の一撃というならともかく、あの程度の小手調べなどでこのワシの筋肉が傷つくものか! まあ小僧が変なことをした時のために、一応周囲にも防壁を張っておいたがな」「ゴンゾのオッサ……じゃなくて、武僧ゴンゾ様!?」「お、何だ。ワシのことも知っているのか? ならば今すぐその貧弱な肉体に筋肉を纏うべきだぞ? 信仰は筋肉だ!」「えぇ……いえ、それは遠慮させていただきます」 おおよそ一〇〇年ぶりの再会だというのに、この一連のやりとりがまるで日常であるかのように感じられる。ああ、そうだ。ゴンゾのオッサンはいつもこんな感じだった。何も変わってねぇ……いや、変わる前なんだから当たり前か。「もーっ! 二人とも何やってるの!」「っ…………」 そしてそんな二人に続くように、最後の一人の声が聞こえる。初めて聞いた一〇〇年ぶりの声であり、たった一日前に命の終焉を看取った最後の仲間。 俺よりもずっと小さい一六〇センチほどの小柄な体に、アレクシスの金髪よりもやや赤みがかった太陽のような黄色い髪。翡翠色の瞳は危ないことをした仲間達に対する怒りが見え隠れしているが、そこには間違いなく命の輝きが満ち満ちている。 ああ、生きている。ただそれだけの当たり前の事実が俺の全身を震わせ、その声を聞くだけで俺の胸が張り裂けそうなほどに締め付けられる。「アレクシス! なかなか戻って来ないと思ったら、こんなところで何をしてるのよ!」「フッ、何を言い出すかと思えば……いつも通り、己の分を弁えぬ愚かな庶民に僕の凄さを少しだけ体感させてあげただけさ」「何処が少しよ! あんな技まで使って……ねえ、貴方。大丈夫?」 聖剣を鞘に収めて肩をすくめるアレクシスに、ティアが呆れたような声で答えてから俺の方に近づいてくる。少しだけ目尻をさげて心配そうに見るその表情は、ここから始まり、そして終わった冒険中に数え切れない程見つめた顔だ。「ティア……」「え? 何で私の名前を知ってるの? ひょっとして何処かで会ったことがあるのかしら?」 思わず名を呼んでしまった俺に、ティアが不思議そうに首を傾げる。ああ、こりゃいかん。何か適当な言い訳をしねーと……「えーっと、いや、その……あ、ほら! 勇者様のお仲間の方々は、みんな有名じゃないですか! 偉大なる精霊使いであるルナリーティアさんの名前なら、誰だって知ってて当然ですよ!」「あー、そっか。そりゃそうよね、別に名前を秘密にしてるわけじゃないんだし。じゃあ、改めて自己紹介! 私はアレクシスと一緒に魔王を倒す旅をしている、エルフで精霊使いのルナリーティアよ。宜しくね!」「あ、はい。俺はエド……旅の剣士で、荷物持ちです」「エドね! 宜しくエド……剣士はともかく、荷物持ち?」「はい、その…………あれ?」 差し出された手を、俺は恐る恐る握った。ほっそりとした指先が絡み、手のひらにティアの温もりを感じた瞬間……不意に俺の視界が歪む。「えっ!? ちょっ、待って。何で泣くの!?」「へ? あ、本当だ。何で……?」 驚いているティアの顔を見ながら、俺は自分の頬に手を当ててみる。するとそこには熱い涙が滴っており、どうやら俺は知らずに泣いているらしい。「ど、どうしよう? 私何か酷いことしちゃったかしら? それとも……そうよ、アレクシス! ちょっとアレクシス、貴方一体何したの!?」「言いがかりはやめてくれないかティア? 僕は別に特別なことはしてないさ。いや、僕という存在そのものが特別だということを抜きにすればだけどね」「またそういうわけのわかんないことを! ごめんねエド、アレクシスには私が後でちゃんと言っておくから……」 申し訳なさそうな声を出しながら俺の顔を覗き込んでくるティアに、俺は半笑いになりながらゆっくりと首を横に振る。「あー、いや、違うんです。そういうのじゃなくて……あれですよ。高名な勇者パーティの方に名前を呼んでもらうなんて、そのうれしさで思わず泣いちゃったというか」「えぇ、そうなの? それだとやっぱり私が悪いのかしら? えっと、私はどうすればいい?」「ははは、すぐに止まると思いますから、気にしないでください。あ、でも、そうだ……もし良かったらなんですけど……」「なーに?」「その……もう一度だけ、俺の名前を呼んで貰えませんか?」「名前? いいけど……エド?」「……はいっ!」「フフッ、何だかよくわからないけど……エドって面白い人ね」 何も知らず、何もわからず、それでも奇異な態度を取る俺に対して、ティアは優しく微笑んでくれる。その後は何も言わずに待ってくれたティアのおかげで、俺は一分ほどかけてどうにか涙を抑え込むことに成功した。「ふぅ……すみません。もう落ち着きました」「そう、良かった。で、エドはアレクシスと何をしてたの? まさか本当に喧嘩してたわけじゃないわよね?」「あ、はい。実は憧れの勇者パーティに入れていただけないかと思いまして、勇者様に俺の実力を確かめてもらっていたんです」「そうなの? 確かにアレクシスと戦えるなら強いんだと思うけど……うーん、私達、別に戦力不足に悩んだりはしてないのよね」 俺の言葉に、ティアが眉間に皺を寄せてそう答える。だがその反応は想定内だ。俺は慌てず更に言葉を続けていく。「ですよね。なので――」「でもまあ、いっか! エドとなら何となく上手くやっていけそうな気がするし!」「荷物持ち……あれ?」「ねーねーアレクシスー! エドのこと仲間にしてもいいでしょー?」「は!? 何を勝手なことを言ってるんだ君は!? 今更仲間なんて増やしたら、連携が取れなくなって却って弱くなると何度も説明しただろう!」「それはわかってるけど、でもそれは弱い人を仲間にしたら、でしょ? アレクシスが本気を出しちゃうくらい強い人なら、改めて訓練をしてでも仲間に入れた方が結果的には強くなれるんじゃない?」「誰が本気を出しただって!?」「あら、違うの? まさか勇者アレクシスともあろう人が、どうでもいいような相手にあんな技を使ったりしないわよね?」「うぐっ!? それは……」 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるティアに、アレクシスが言葉を詰まらせる。実際アレクシスはどうでもいい相手に「月光剣」なんて使わない……というか、使ったら相手が死ぬ……ので、思いっきり図星を指された形だ。「ほら見なさい! ねえゴンゾ、貴方はどう思う? 私はエドとなら仲良くやっていけるかなーって予感がするんだけど」「ワシか? ワシは別にどちらでも構わんぞ。ついてくるというのならついてくるに相応しい筋肉を身につけさせるだけだ!」「なら決まりね。エドの仲間入り、けってーい! これからよろしくね、エド!」「あ、はい。宜しくお願いします……?」

何だこの……何だ? 俺は勇者パーティに入るために色々な作戦を考えていたというのに、気づいたら既に勇者パーティに加入していた……?「えっ……と、本当にいいんですか?」 とはいえ確認は重要だ。俺がパーティのリーダーであるアレクシスに問いかけると、アレクシスが心底苦々しげな表情を浮かべながら答えてくれる。「ハァ……まあいい。彼女はこういう時、何を言っても聞かないからね。でも僕の足を引っ張るようならすぐに辞めてもらうから、そのつもりで頑張りたまえ」「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」「わーい、やった! ありがとうアレクシス!」 俺がアレクシスに礼を言って頭を下げると、何故か俺より喜んでいるティアもアレクシスの手を掴んでブンブンと振る。アレクシスが心底困った顔をしているのがちょっとだけ面白い。「何故君が礼を言うんだ? まったく……で、君……エドだったか?」「はい。エドです。よろしくお願いします」「ふむ、それはいい。ではエド、確認なんだが……君は本当に荷物持ちもやるつもりなのか?」「え!? エド、冗談じゃなくて本当に荷運び志望なの!?」 アレクシスの言葉に、ティアが驚いて俺の顔を見てくる。まあアレクシスと戦えるような人物がただの荷物持ちを希望していたらそういう反応になるだろう。「ほう、小僧が荷物を運んでくれるのか? なら問題は解決ではないか!」「それはそうだけど……でも、いいの? 私達全員の荷物ってなると、結構な量があるのよ? それに最近は少し遠出をしようかって話をしてたから、多分エドが考えてるより沢山の荷物を任せちゃうと思うんだけど……」 やや不安げな表情で問うてくるティアの言葉に、しかし俺は自信満々で腰の鞄をポンと叩く。「ええ、何の問題もありません。実は俺、ちょっと凄い魔導具を持ってまして。これなんですけど」 そう言って俺は腰の鞄の蓋を開き、半分に折れた鉄剣を突っ込んだ。するとどう考えても入るはずのない大きさの剣がスルリとその中に吸い込まれていく。「剣が消えた!? 馬鹿な、どうやって?」「おお、そいつは凄いな! 何だそれは?」「へへへ、実はこの鞄は、見た目よりずっと大量の荷物が入る不思議な鞄なんです。遺跡で見つけたものなんで詳しい仕組みとかは全然わからないですし、最初に拾った俺以外の人が持ってもただの鞄になっちゃうみたいなんで使い回しとかは無理ですけど、でもこれがあれば荷物持ちの仕事は十分にできるかと」 無論、これは単なる革の鞄であり、仕掛けは追放スキル〈彷徨い人の宝物庫〉だ。鞄の中に出入り口を展開することであたかもこの鞄が魔導具であると錯覚させたのだ。 何でそんな面倒なことをしたかと言えば、理由は二つ。一つは勿論、俺の有用性を示すためだ。俺にしか使えない魔導具ということにしておけば、勇者権限で徴発しても意味がない。この鞄の力が欲しければ俺を仲間にするしかなくなる。 そしてもう一つは、俺は基本的に追放スキルのことを隠そうと思っているからだ。俺の最終目標は勇者パーティを追放されること。つまりいずれはほどほどに無能を演じないといけないので、自分の能力よりも道具に依存していると考えてもらった方が都合がいい。道具ならわかりやすく壊したりなくしたりできるが、能力はそうじゃないからな。 そう、俺はあくまで通りすがりのよそ者であり、部外者。途中で抜けるのが確定しているのだから、有能でありすぎるのはむしろ害悪なのだ。「……ちなみに、その鞄にはどのくらいの量の物資が入るんだ?」「そうですね……今まで一杯になったことがないので正確な量はわかりませんけど、でかい倉庫の二つや三つくらいは余裕かと。あ、勿論どれだけ入れても鞄の重さは変わりませんよ」 本当の〈彷徨い人の宝物庫〉の容量は、驚きの世界一つ分だ。が、流石にそこまで馬鹿正直に言うと鞄の価値が高くなりすぎてしまう。使えないとわかっていても「殺してでも奪い取る」なんて選択肢がでてきてしまうので、まあこのくらいがちょうどいいだろう。「凄い凄い! それだけ入ったら一ヶ月どころか一年だって冒険できるわ!」「だな! 今までは遠慮して持ち歩けなかった筋トレ用のアダマント片を持ち歩けるとなれば、どんな場所でも筋肉を育てることができるようになる! いやぁ、実に素晴らしい魔導具ではないか!」

「は、はあ。どうも……」 ティアはともかく、ご機嫌な笑みを浮かべてバシバシと背中を叩いてくるゴンゾのオッサンに、俺は曖昧な笑顔で答えておく。てか筋トレ道具って、一周目ではちゃんと遠慮してたんだな……あの頃の俺がそんなもの持ったら秒で潰れるから当然と言えば当然だけれども。「ふむ、どうやら僕が考えていたよりかなり有用な魔導具のようだね。そういうことなら荷物は君に任せよう。さしあたっては……これだ」 そう言って、アレクシスがピンと何かを指で弾く。それをしっかりキャッチすると、俺の手の中には鈍く輝く銀色の……じゃない、金貨!?「へ!? あの、勇者様!?」「それで君が必要だと思う物資を、必要だと思うだけ買ってくるんだ。余った分は返さなくてもいい」「えぇ? でもこれ、金貨ですよ? ひょっとして間違えたりしてません?」 この世界の一般庶民の平均的な収入は一日辺り銅貨八〇枚くらいで、銅貨一〇〇枚で銀貨一枚、銀貨一〇〇枚で金貨一枚となる。そして一周目の時に俺が初めて受け取ったのは、銀貨一〇枚だった。 まあ当然だろう。何処の誰ともわからない相手にいきなり大金を渡すはずがない。だから今回もそうだと思ったんだが……これは?「間違えてなどいない。それだけの量が入るというのなら、ちまちまと買うよりも大量にまとめ買いした方が効率がいいだろう? 最強の剣士というのは僕がいる以上あり得ないが……最高の荷物持ちだというのなら、その能力を見せてくれたまえ」「……わかりました。ご期待に添えるよう頑張ります」 フンと鼻を鳴らすアレクシスに、俺は丁寧に一礼して応える。 なるほど、つまりこれは試験だ。この金をどう使い、何をどれだけ購入するのか? 単純に荷物を持つだけの存在ではなく、荷物を……物資を管理する者としての俺の能力が試されている。 フフフ、いいだろう。その挑戦受けて立つ! こちとら伊達に一〇〇年も荷物持ってねーんだよ! 完全かつ完璧な旅の準備を整えて、あまりの快適さに吠え面をかかせてやるぜ!「じゃ、行きましょ! 二人とも、また後でね!」「はい! ……はい?」 やる気に燃える俺の腕を、極めて自然な動作でティアが掴んで歩き出す。そのあまりの違和感のなさに、俺の脳が遅れて気づくことおよそ一〇秒。「ちょっちょっちょっ!? 何でティアさんが一緒についてくるんですか!?」「ティア!」「? はい、ティアさんですよね?」「そーじゃなくて!」 強引に引っ張っていた腕を放し、ティアが頬を膨らませて俺の前に立ち塞がる。「ティアよ! さっきは呼び捨てにしてたのに、何で今更『ティアさん』なんて他人行儀な呼び方するの?」「いや、そこはまあ失礼がないようにというか……ティアさんは先輩――」「ティア!」「…………ティアは先輩なわけですし」「そんなこと気にしなくていいのよ! エドはもう正式に私達の仲間になったんだから、上も下もないの! 敬語だっていらないわ」「でも……」 なおも言いつのろうとする俺の唇に、ティアがプニッと自分の人差し指を押し当ててくる。そうして言葉を封じられた俺に、ティアは何とも楽しそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。「でもも何もなし! 他の二人のことまでは強要しないけど、私は貴方のことをエドって呼ぶし、貴方は私をティアと呼ぶの! いいわね!」「……わかりま――」「むー?」「っ……ははは、わかったよティア」「それでいいのよ!」 思わず苦笑する俺に、ティアが満足げに頷くとクルリとその場で回って俺の前を歩き始める。何ともティアらしい行動ではあるが……むーん?

「なあティア? 自分で聞くのもどうかと思うんだけど」「何?」「いや、何で会ったばっかりの俺にそこまで良くしてくれるのかなって」 俺の知っているティアは確かに社交的で人見知りしない性格ではあるが、だからといって出会ったばかりの相手にここまで無条件に近づいたりはしない。実際一周目では「行ってらっしゃい。アレクシスに認められるように頑張ってね」と笑顔で送り出してはくれたが、こんな風に強引についてきたりはしなかったのだ。 そう、今のティアの距離感は、勇者パーティとして長い時間を過ごした後の状態に近い。(まさかティアまで記憶を引き継いで……って、それはねーよな) 頭に浮かんだ一番納得のいく答えを、しかし俺は即座に否定する。もしあの時の記憶が残っているのだとしたら、それこそティアが平静でいるはずがない。 でももし、ティアがずっと前からその記憶を思い出していたら? そして俺がそうであるように、俺との出会いを何食わぬ顔でやり直しているなら? 俺が一人でどれだけ考えたところで、その答えは永遠に出ない。ならばこそティア本人に問いかけてみたわけだが、当のティアは小首を傾げて悩み始める。「何でって……うーん? 確かに何でだろ?」 眉間に皺を寄せたその顔は、間違いなく本気で考えている顔だ。仲間として一年半共に過ごした俺の見立てが間違ってないなら、この時点でティアが演技をしているという可能性が消えた。 が、そうなるとやっぱり度を超して親切にしてくれた理由がわからない。静かに答えを待つ俺に、ティアがゆっくりとその口を開いていく。「あのね、私達エルフって、エドみたいな人間に比べて長生きでしょ?」「? そうだな。それがどうかしたのか?」「長く生きるってね、それだけ沢山のことを経験して……沢山のことを忘れるってことでもあるの。実際私も一〇〇年以上生きてるけど、忘れちゃったことがきっと沢山あるわ。それこそ忘れちゃったことを忘れちゃうくらい! まあ全部覚えてたりしたら今度は思い出に押しつぶされちゃうから、仕方ないことだと思うけど」 そう言って小さく笑うティアは、見た目だけなら俺より年下の少女にすら見えるが、その瞳の奥には間違いなく長い時を生きてきた深みが感じられる。自分でも経験したからわかる。一〇〇年という時間は決して軽いものではないのだ。「でもほら、絶対に忘れたくない大切な思い出とかもあるでしょ? そういう記憶をね、私達エルフは魂に刻むの」「魂……?」「そう、魂。と言っても別に特別な何かをするわけじゃなくて、ただそっと胸に抱きしめて、強く強く心に焼き付けるの。数百年の時を経ても決して色褪せないように、時の一端を切り取って保存するように。 そうすると、不思議と忘れないの。ただあまりにも強すぎる想いは、死んで生まれ変わっても魂に焼き付いたままになって……だから時々、初めて見る光景や初めて会った人に懐かしさを感じることがあるんだって。さっき突然泣き出したエドの顔を見て、いつか何処かで聞いたそんな話を思い出したの」「そう、か……」 果たして人には魂と呼べる何かがあり、それは死んだ後に生まれ変わるのか? その答えをただの人間である俺は持ち合わせていない。 が、他ならぬ俺自身が未来という名の過去から記憶と能力を引き継いだ存在だ。ならば何処か別の世界で魂に刻んだ記憶がふとした瞬間に目覚めないと、どうして言いきれるだろう? それに、今ティアが言ったようなことを体験したという人物には何度か会ったことがある。それはエルフに限った話ではなく、人間でもドワーフでもそういうことはあるらしいが……であればそれを単なる与太話と切って捨てるのも味気ない。「なるほど、魂の記憶……確かにそういう話は俺も聞いたことがあるな」「でしょ? だからひょっとしたら、私が私になる前に、エドがエドじゃない頃の誰かと出会って仲良しだったんじゃないかしら? あえて理由をつけるとすればそんなところね」「そっか」 そう言ってはにかむティアに、俺はあえて短くそれだけ返す。それ以上など必要ない。真実なんてものは、この笑顔に比べたら紙屑みたいなもんだ。「なら俺も、遠慮なくティアと仲良くさせてもらうか」

「何それ、面白い言い方ね! いいわよ、どーんと来なさい!」 控えめな胸を得意顔でドンと叩くティアを前に、俺は少しだけ早歩きしてその隣に並ぶ。するとティアも俺の横を歩き始め、俺達は二人並んで大通りを歩いて行く。「それでエド、まずは何を買うの? この辺のお店はそれなりに詳しいから、言ってくれれば場所を案内するわよ?」「そりゃありがたい……けど、実は俺もこの辺は詳しいんだよ。っていうか、多分ティアより詳しいと思う」「へー、言うじゃない」「ま、俺は勇者パーティの荷物持ちだからな。それに相応しい知識はちゃんと持ってるってことさ」「おー!」 ドヤ顔を決める俺に、ティアがパチパチと小さく拍手をしてくれる。そもそも一人で回るつもりだったのだし、その辺の計画はバッチリだ。おまけに今回は予算として金貨をもらっちまったので、本来ならもう少し信頼を得てからと思っていた計画を前倒しすらできる。フフフ、アレクシスの驚く顔が目に浮かぶぜ……「ということで、まずは大通りの脇にある干物屋の脇の道を曲がって、三つ目の角を左に進んで奥から三軒目にある裏通りの店からだ!」「干物、脇……えぇ? 何そのお店。私全然知らないんだけど!?」「ちょっとした穴場だからな。知る人ぞ知るというか、誰も知らないからこそ良品が安く眠っているというか……どうやって商売を成り立たせてるのかはわかんねーけど」「うわぁ、何だか面白そう! ならお店選びは全部エドに任せちゃってもいいのかしら?」「勿論。お嬢様にもご満足いただけるような、素敵に怪しく胡散臭い店にご案内いたしますとも」「素敵なのに怪しくて胡散臭いの……?」 長い耳をピコピコと揺らし好奇心を膨らませる子猫のようなティアの手を取り、今度は俺が引っ張って行く。繋いだ手はあの日と同じく温かく……だがその温もりはいつまで経っても消えることはなかった。「たっだいまー!」「……戻りました」 町にある一番豪華な宿の一室。その室内に入った俺達を出迎えたのは、何とも渋いアレクシスの顔だ。そりゃ新人に試験を出したつもりが、仲間の試験官がそれをガン無視してウッキウキで同行したらこんな顔になるわな。「おかえり、ティア。で、どうだったんだ?」「ほえ? どうって?」「…………そうか。まあ君にその手のことは最初から期待していないから、別にいいんだけどね」「むーっ! ほら見てエド! アレクシスったら早速意地悪なことを言うのよ!?」「あはははは……」 呆れたように首を横に振るアレクシスに、ティアが思いきり頬を膨らませて俺を見てくる。だがそんな顔を見せられても、俺にできるのは愛想笑いくらいが精々だ。「では、改めて君の働きを確認させてもらおうか?」「わかりました。ここに出しても?」「ああ、構わないよ。それで駄目になるようなものを買ったりしていなければね」 相変わらず上からなアレクシスの言葉に、俺は特に気にすることなく鞄に手を突っ込んで、その実〈彷徨い人の宝物庫〉から買い込んできた品物を取りだしていく。「まずは食料品ですね。ティアの話によるとすぐに町を立つということではないらしいので、今回は保存食のみを購入してあります。三ヶ月保つものが一〇日分と、一年保つものが同じく一〇日分です」 ふかふかの絨毯の上に積み上がっていく食料の山。俺も含めて四人分となると、これだけでも相当な量だ。「ふむ、梱包もしっかりされてるね」「そこはきっちり調べましたから。多少割高でしたが、信頼できる大店のものを買い込んできました」 物というのは単に安ければいいというものではない。値段とは品質と信頼であり、食料という命に直結するものを一山いくらの露天で買い叩くような奴は、それしか選択肢のない新人か貧乏人、あるいは世間知らずのお坊ちゃんくらいだろう。 まあゴンゾのオッサンみたいな人なら口に入れば石でもいいなんてこともあるのかも知れないが……いや、マジで平気って言われたら怖いから考えるのはやめておこう。実は追放スキルにそういう感じのがあったりするけど、使いたいと思ったことなんて一度もねーしな。「で、次は……これです!」 そんな食料の山を避けて、今度はドスンという音を立てながら大型の魔導具を取り出す。俺の腰の高さまであるずんぐりとしたそれは、当然ながら携帯を前提としたものではない。「…………容量はまだしも、明らかに鞄の口より巨大なものが出てきたことは、この際目を瞑ろう。が、これは何だい? 見たところ何かの魔導具のようだけど?」「フフフ、これは……水を生成する魔導具です!」「水?」 ドヤ顔で言う俺に、しかしアレクシスは露骨に眉をひそめる。「僕達のパーティでは、飲用の水はティアの精霊魔法で出してもらっている。故にこんなものが必要だとは思えないんだが……ティア?」「違うわよ! 私だって何度もそう言ったのに、エドがどうしてもって言うから買ったの! これだけで銀貨五〇枚もしたんだから!」 じろりと見てくるアレクシスに、ティアが慌ててそう抗議する。その時にも事情を聞かれたのだが、ティアには「後でまとめて説明するから」と言ってまだ話していない。「……理由を聞こうか?」「勿論。まず最初に、おそらくご存じないでしょうから説明させてもらいますが、中古とはいえこの魔導具で銀貨五〇枚は破格です。新品を買えば普通に一〇倍しますから」「えっ!? これってそんなに高いの!?」「そりゃそうだろ。だって魔力さえあれば砂漠だろうと洞窟だろうと、どこでも飲める水が出せるんだぞ? それがどんだけ便利かは、実際に水を出してるティアならよくわかるんじゃねーか?」「それはまあ……うん。お水って重いもんね」 そう、水は重い。にもかかわらず人が生きるには水が大量に必要で、だからこそこういうものが普及する前は、大規模な人の生活圏は水辺に限られていたのだ。「だが魔力を消費して水を出すというのなら、それこそティアにしてもらっていることと変わらないだろう? なのにわざわざ魔導具を買ったのはどうしてだい?」「理由はいくつかありますけど、一番の理由は安全の確保ですね。ティアによる飲み水の生成は、当たり前ですけどティア以外にはできません。つまり何らかの理由でティアの魔力が枯渇していたり、怪我や病気で精霊魔法が使えないと俺達はいきなり飲み水を失ってしまうわけです。 でもこの魔導具なら、魔力を込めさえすれば誰でも使えます。俺には魔法は使えませんけど魔力自体はちょっとだけならあるんで、何なら俺がこの魔導具を使えば他にも使い道のあるティアやゴンゾ様の魔力を温存できるという効果も見込めますね。 俺のスト……魔法の鞄があれば水筒を大量に持ち運ぶこともできますけど、水は普通に傷みますし、結局水場がないと補給ができないのは同じですから、食料よりも更に重要な水の現地調達先を増やしておくのは絶対的に有用かと」「…………なるほど。確かに一理あるね」 説明を聞いて頷くアレクシスに、俺は内心でガッツポーズを決める。見た目ではわかりづらいが、これはかなりの高評価を得られたということだ。 ま、これは本気で掘り出し物だったからな。一周目の時にたまたま道に迷って辿り着いたあの怪しげな店でこれを見つけた時は、自分の手の中に銀色の貨幣が一枚しかないことに歯噛みしたものだった。 その時もここに戻ってアレクシスに「あれは絶対いいものだ」と熱く説明してみたけれど、あの時は「ティアがいるから必要ないだろう?」という言葉を押し切ることができず、結果としてこれを買うことはなかった。 そしてそれが後にとある悲劇を呼ぶことになるのだが……今回はそんなことは起こらないので、まあいいだろう。「後は細々した消耗品なんかですね。野営の道具とかは既に皆さんが持っているとのことなので、今回は控えさせてもらいました。くたびれてきているからそろそろ買い換えたいということであれば、ご要望をお聞きしたうえで新しい物を用意しますけど?」「いや、そこまでは必要ない。流石に日帰りの冒険ばかりをしているわけじゃないからね」

「なら良かったです。そして最後は……」 そう言って俺が取りだしたのは、鈍い輝きを放つ鉄の剣。折れてしまった愛剣を下取りに出し……なお銅貨五枚だった……手に入れた、新たな相棒だ。「ほぅ、ちゃんと剣も買ってきたのか」「そりゃそうですよ。俺ほどの戦力を遊ばせておくなんて、それこそ馬鹿ですから」 今回俺は、アレクシスに剣の腕を示して仲間になった。ならば俺の戦力は勇者パーティの戦力の一部であり、それを活用しないのはゼロではなくマイナスだ。 そして冒険に絶対に必要な経費に関しては、パーティの資金から出すのが通例だ。それを徹底してないパーティだと、消耗品を使い渋ったり装備の手入れを先延ばしにしたりすることで結果として大損するというのはありがちな話である。 なので今回、俺はパーティの金で剣を買った。これは俺という戦力を生かすための必要経費となるので、むしろ剣を買わずに無手で戦うなんてことを選んだら、アレクシスはここぞとばかりに罵倒してくれたことだろう。「だが、見たところあまり質のいい剣とは言えないようだね。正直、僕は君の剣に渡したお金の殆どを注ぎ込むんじゃないかと思っていたんだが……」「それも一つの手段として考えてはいましたけど、今回はもっといい手段があるので、とりあえずの間に合わせですよ」「いい手段?」「はい。つきましては勇者様。遠征の練習と俺を加えた戦闘の習熟、おまけに素晴らしい武具の入手もできるお得なご提案があるのですが……」「……聞こうじゃないか。何だい?」 まるで悪徳商人のようにニヤリと笑う俺に、アレクシスが若干引きながら言う。「アトルムテインに行きません? あそこにね、いーいお宝があるんですよ」 そうとも、これは悪巧み。自重なんてしてやらない。せっかく二周目なんだから……世界を半年先取りだ。